【少女たちのまぼろし】きのこ帝国「ヴァージン・スーサイド」――痛みも夢も、すべては透明だった

夢を見ていたのか、それとも全部現実だったのか。
きのこ帝国「ヴァージン・スーサイド」は、そんな“境目のない感情”をゆらゆらと描いた一曲です。

タイトルの由来となっているのは、1999年公開のソフィア・コッポラ監督の映画『ヴァージン・スーサイズ』。
美しくも儚い少女たちの生と死を描いたこの作品に触発されて、きのこ帝国の世界観は新たな一歩を踏み出しました。

今回は、そんな「ヴァージン・スーサイド」という楽曲に込められた想い、歌詞に流れる感情、そして曲が生まれた背景について深掘りしていきます。


「ヴァージン・スーサイド」というタイトルに込めた、静かな衝撃

“スーサイド”=自殺という重たいワード。
でもこの曲から感じるのは、痛々しさよりも“無垢さ”や“静けさ”。
まるで誰かの夢の中を覗いているような、遠くの出来事のような不思議な距離感が漂っています。

映画『ヴァージン・スーサイズ』と同じように、きのこ帝国のこの曲も「失われていくものの美しさ」に焦点を当てています。
それはまるで、“永遠になれなかった青春”へのレクイエムのようでもあります。


曲が生まれた背景――映画と音楽の“交差点”で

この曲が収録されたのは、2012年のEP『ロンググッドバイ』。
当時のきのこ帝国は、轟音シューゲイザーの中に繊細な詩情と映像的な空気感を織り交ぜはじめていた時期です。

ボーカルの佐藤千亜妃は、ソフィア・コッポラ作品の大ファンとしても知られており、
「映画の中の少女たちのように、“何かになりきれなかった自分”」をテーマに曲を書いたと語っています。


歌詞が描くのは、「遠ざかる記憶」の断片

「枯れかけた紫陽花が 散るように自然に
いつかそっと消えてやる でもそんな勇気もない」

ここで描かれているのは、はっきりとした別れではなく、
静かに、でも確かにフェードアウトしていく関係性

言葉は少ないけれど、その余白に漂う感情がとてもリアル。
誰かの背中を見送ったあとの、残された静けさ。その“あとの時間”をこの曲は描いているのです。


音の海に沈む、感情の輪郭

ギターの重なりと、ドラムの淡々としたリズム。
派手な展開はなく、でもじわじわと染み込んでくるサウンドは、まるで自分の記憶が音になったみたい

サビで少しだけ盛り上がるその瞬間も、叫びではなく“感情の滲み”。
涙ではなく、まぶたの裏が熱くなるような、そんな音の温度感。


「美しいまま終わる」という選択

この曲が語っているのは、ドラマチックな別れではありません。
むしろ、誰にも気づかれず、静かに終わっていく関係や感情を肯定している

それはまるで、「未完成でも、それはそれでいいんだよ」と
誰かがそっと肩を叩いてくれるような優しさ。

“完結しない物語”にこそ、心は残り続ける。
きのこ帝国は、その切なさを音楽に昇華する名手です。


まとめ:あなたにもきっと、「ヴァージン・スーサイド」はある

人生の中には、ちゃんと始まりも終わりもないまま、
いつの間にかすり抜けていった想いがある。

「ヴァージン・スーサイド」は、そんなかたちのない感情に名前をつけてくれる曲です。

もし今、過去の自分や誰かをふと思い出してしまったなら。
この曲をそっと再生してみてください。
あなたの“透明な記憶”と、静かに向き合えるはずです。